周囲でやっている人が多かった世界の霧というアプリを購入した。これはマップ上のすべてが霧に包まれていて、自分が通ったところの霧が晴れていくという、ただそれだけのシンプルなアプリなのだが、これがなかなか面白い。

アプリを使い始めてまず気づくことは、小さな街のほとんどが霧に包まれており、決まり切ったほんの小さな特定のルートだけが自分の日常世界のすべてということだ。広大なオープンワールドに住んでいるはずなのに、ものすごく陳腐な一本道ゲームをやっているような感覚に近い。普段通らない道はほとんど霧に包まれていて、そこに何があるのか全くわからない。
いっちょ霧を晴らしに行くかと思い、普段通っていない道に入ってみると新しい発見が色々ある。知らない店があったり、親子が遊んでいたり、猫が住んでいたり、見えない部分もちゃんと世界がレンダリングされていて感心する。
自分の世界に霧があることを認識すると、霧を晴らしたくなってくる。帰り道は常に霧を晴らすルートを選択して、毎日少しずつ霧が晴れる。岩手で遠出をするときにいつも最短ルートを通っていたが、霧を晴らすために普段立ち寄らない人里を通るようにした。もちろん、道に迷って峠道に入ったりするのだが、わらび峠というなんだかめちゃくちゃ山菜フリーク達が集まりそうな名前の峠を発見したりする。

Google Mapsで迷わずに目的地にたどり着くことができるようになったが、Google Mapsに従っていると、ある目的地に対して晴らすことのない霧が生まれる。迷わずに目的地に向かう限り、おそらくこの霧は晴れることがない。
世界の認識の仕方もおそらく違っている。場所法という記憶法があるくらいだが、人類は海馬の場所ニューロンを使って視空間情報を記憶するのが得意だ。これは狩猟採集社会の適応としては特に不自然ではない。一方で、スマホ地図を使っているときは、視空間のランドマーク的な手がかりを使うのではなく、スマホからの指示に従っている関係でフィードバック処理を司る尾状核が増大するらしい。
つまり、世界の霧というアプリ上だけでなく、実際に私達の世界の認識には霧がかかっているということだ。世界の霧はこの霧を見えるようにするアプリというわけである。霧を晴らすには、ナビゲーションへの応答ではなく、視空間的な注意を世界に対して払うしかない。
この霧が見えるようになるアプリはなんと買い切り3000円。君も近所をウロウロ徘徊する不審者になろう。
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