雑草との付き合い方

草刈りが結構好きな理由とか東北方言を通じて見えてくる田舎の自然との付き合い方について思うところを書きました。

雑草との付き合い方
Photo by Mads Schmidt / Unsplash

今週の土曜は栗林の草刈りをしていた。100本の栗の木が植えてあるこの栗林は自走式の草刈り機を使うと1日で大体全てを刈り取れるほどの広さだ。草刈りというと田舎の面倒臭い作業筆頭で移住者にとっては避けたいものだというイメージがあるかもしれないが、機械化とかメソッドがある程度成熟しているおかげで手を動かしている間は頭がフリーになって考え事が捗るし、何より成果が即時フィードバックされる気持ちよさがあるので自分は結構好きだ。Minecraftの整地が好きな人は多分ハマる素養を持っていると思う。

ところで動植物が成長して大きくなることを東北では「おがる」というのだが、畑の野菜でも雑草でも「おがる」「おがってきた」みたいな形で使われている。標準語とかだとどう言うだろうなと考えると、育てている野菜の場合は「育つ」で、雑草の場合は「伸びる」と言い分ける気がする。これは主体の意図の有無で分けているわけだが、浜で畑仕事をしていると特に言い分けているような感じはない。同じ生き物がとにかく「おがっていく」だけである。同じ海道・東北弁でも「おささる」みたいに助動詞「さる」によって人間の意図について標準語よりも細かく言い分けている側面もあるのでなんだか興味深いものである。

雑草が鬱蒼としている地帯はいろんな虫やネズミ、たまに蛇やキジも出てきて様々な動物の隠れ蓑になっている。草刈りをしたエリアには鳥たちがよく降りてくる。刈り取った後に隠れ場所を失った虫たちを食べているのだ。刈り取った草は分解されて土が育って、しばらくするとまた別の雑草が生えてくる。そこを住処にする虫がいて、それを食べる鳥がいて、あまり生えすぎると色々困る人間がまた刈り取る。自分が草刈り作業が結構好きなのは、こういう人間の活動と生態系が直にリンクしているのを感じ取れる部分にあるのかもしれない。

「雑草という名前の植物はない」みたいな話があるが、刈り取ってきた草の名前を僕はまだ知らない(アニメタイトルだ…)。なんとなくあの草は狩り辛いとかはあるのだけれど、例えば生長点の違いによって刈り高を変えると後々の草刈り作業が減ったりなど、色々細かいテクニックがあるみたいだ。素人的には全部除草シートしちゃえば楽なのではと考えてしまうけれど、紫外線による劣化は避けられなかったり、土地が痩せて土砂崩れしやすくなるとか色々考えなければならない点は多いっぽい。他にも意図的に管理しやすい植物を植えて雑草の繁殖を抑えるグランドカバープランツという手法もあるっぽい。

これを突き詰めた先にコンクリートに覆われた都市部の風景があり、そこでは自然の「管理」がある程度workしていて、人対自然の2項対立的な見方がまだ成立しているように思える。一方で、田舎は都市ほど人も金もないので、自然とはどこかで折り合いをつけなければならない関係と言えそうだ。自然を前にした人間の無力さを感じるのに大災害みたいな大きなパワーは必ずしも必要ではなく、草刈りした数週間後に生い茂る雑草を見るだけで十分である。田舎では「自然の中にいる人」というリアルが力強くあって、それを象徴するのが人にも農作物にも雑草にも「おがる」という言葉を使う東北人の距離感なのかな、というようなことを草刈りを終えた満足感と筋肉痛を感じながら考えるなどした。

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